第2章:受けても受けても通らない地獄の面接の日々

 

面接を受けても受けても、届くのはお祈りメールばかり。

「お前なんかいらねえ!」

社会からそう突き付けられているかのようでした。

 

なぜ僕が失敗のパターンにハマってしまったのか?

そのヒントは、リクナビのアドバイスを過信しすぎたことにありました。

あなたも同じ罠にはまっていませんか?

 

これから僕の就活1年目の失敗を、余すところなく語っていきましょう。

 

東日本大震災のニュースでアナウンサーを目指すことに

 

それは僕が大学2年生だったころ。

日本を揺るがす大きな災害が起きました。

 

あなたもご存知の通り、東日本大震災です。

連日連夜、テレビの映像は東日本大震災の被災状況を伝えるニュースで埋め尽くされていました。

 

ニュースの映像は、「これが同じ日本か」と信じられない光景ばかり。

当時京都にいた僕は、何もできない歯がゆさを感じながら

テレビのニュースを見ていたのを覚えています。

 

東日本大震災をきっかけに、僕はマスコミのアナウンサーを目指し始めました。

連日流れるニュースを見て、僕が現場で伝えることで何かができるんじゃないかと思ったからです。

その「何か」がどういったものなのかは、当時全く想像はできなかったのですが・・・。

 

アナウンサーを目指すことを決めた僕は、京都のアナウンススクールに通い始めました。

アナウンススクールには、アナウンサーを目指す大学生が多数所属していて、

発声練習やニュース原稿を読む練習など、アナウンサーに求められる技術を学んでいったのです。

 

青山愛元アナウンサーに出会ったテレビ朝日のインターン

 

アナウンサーの就活は、大学3年生の夏から始まります。

テレビ朝日、日本テレビ、フジテレビ、TBSといった東京のテレビ局のサマーインターンシップが始まるからです。

 

「サマーインターンシップってただの業務体験じゃないの?」

と思われるかもしれませんが、アナウンサーのサマーインターンシップでは、

ニュース原稿読みやテレビの実際のスタジオを使ったフリートークなどが課され、

本番の選考同様、現役のアナウンサーが評価して内定が出るものなのです。

 

実際、僕のアナウンススクールの同期の人は、某テレビ局のキャスターの息子で、

サマーインターンシップ経由で日本テレビのアナウンサーの内定が出ました(!)

 

日本テレビ、フジテレビ、TBS、テレビ朝日と、すべてのサマーインターンシップにESを提出したところ、

なんとかテレビ朝日だけESが運よく通過し、僕はテレビ朝日のスタジオに足を踏み入れることができました。

 

当時のテレビ朝日のサマーインターンシップでは、

現役のアナウンサーとの座談会をすることができました。

 

座談会に出席していたのが青山愛 元アナウンサー。

今まで会ってきた女性の中で一番顔が小さくて可愛かったです。笑

 

そんな楽しい時間もつかの間、テレビ朝日の報道スタジオに連れていかれ、

自己紹介とニュース原稿読みを行う課題を課されました。

 

「よし!!ここが一番の勝負どころや!!」

と意気込む僕でしたが・・・

 

極度の緊張で汗だくになり、進行役の社員にも、

「ちょっと落ち着こうか」といわれる始末。笑

 

自己紹介はインパクトを残せることは何も言えず、原稿読みも緊張で噛みまくり。

「絶対落ちたわ・・・ああ、もうテレビ朝日は受けられないのか・・・」

自分の力不足に悔しさを感じながら、テレビ朝日を後にしたのでした。

 

案の定、次の選考に呼ばれることはありませんでした。

嗚呼、テレビ朝日よ、無念なり。

 

リクナビ信者の僕が直面した壁

 

 

テレビ朝日のサマーインターンシップで何もできなかったことを悔やみ、僕は就活対策を真剣に始めました。

 

「就活と言えばリクナビやろ!」

と理由なくリクナビ信者だった僕は、リクナビに載っている情報を片っ端から読み漁り、就活対策を始めたのです。

 

リクナビにはいろんなことが書いてありました。

  • 自分らしさを見つめ直して学生時代の経験を洗い出しましょう。
  • 自分のこれまでの人生を年表にまとめてみましょう。
  • 面接では自分らしさを分かってもらえるようにアピールしましょう。

 

・・・あなたはこの文章を読んでどんなことをするべきかわかりますか?

 

これを読んだ僕(うーん、、、何をやればいいか全然わからん!)

 

サッパリ何をやっていいかわかりませんでした。

 

せっかく就活対策を本気でやろうと思ったのに、

やるべきことがフワッとしすぎてどうするべきか何もわからなかったのです。

 

仕方なく、就活をしていた先輩に、最初に何をするべきか聞きに行きました。

 

先輩A「うーん。俺はただ自分の経験を洗い出してみたかな」

先輩B「自分史を作ってみたよ!」

先輩C「ナビサイトの質問集を使ってひたすら考えてみたけど」

先輩D「キャリアサポートのセミナーを利用してたかな」

 

これはこれで、みんな言っていることがバラバラすぎました。

 

(ああ、先輩たちも何をするべきかわからないまま就活してるんだな)

直観で僕はそう悟りました。

 

ひとまず、リクナビのアドバイスで最もマシな「自分史」の作成に取りかかることにしました。

自分史とは、生まれてから現在に至るまでの、自分自身の年表を作る作業のことです。

 

自分史を作り始めて10分後。

「なんじゃこりゃ!面倒すぎるやんか!全部埋めるのにどれだけ時間かかるんや!」

5歳に至るまでの部分しか作れていない段階で、この作業の面倒さに気づいたのです。

 

自分史の作成作業の面倒さにブツブツ一人で文句を言いながら、

僕はなんとか自分の年表を7時間かけて仕上げました。

A3の紙が3枚にわたる超大作の自分史ができ、達成感を覚えたのです。

 

「やっとできた!それで、その後どうするんかな?」

 

リクナビのアドバイスを見ると、そこにはこんな一文が書いてありました。

  • 自分史ができれば、その中から自分らしさが出ている経験を選び、自己PRを作りましょう。

 

(え?それだけ?自己PRはどう作ったらいいの?)

 

超大作の自分史に抱いた達成感が、失望に変わりました。

 

(これって意味ない作業だったんじゃ・・・)

と心の中で沸き起こった自分のツッコミを静めながら、

ネットで「自己PR」と検索して、それっぽい文章を作りました。

当時できあがった自己PRがこちら。

 

私は何事にもチャレンジしていける人間です。

大学に入ってから、新しくよさこい踊りサークルに入りました。

また、小学生から続けていたバスケットボールを再開し、

新しくサークルを作って京都中のバスケットボールサークルと試合をしました。

さらには、東日本大震災をきっかけにアナウンサーを志すようになり、

京都のアナウンススクールに通って技術を勉強しています。

このように、私は新たな活動への挑戦を楽しめる人間です。

 

・・・この自己PRをあなたはどう評価しますか?

今の僕だったら、「やり直し」の一言で書き直させます。笑

 

ただ、当時の僕はこの文章が良いか悪いかも判断できません。

「よし!リクナビのアドバイスも取り入れたし、これで大丈夫やろ!」

と根拠のない自信を持っていたのでした。

 

初めての本選考に臨んだTBSは30秒で不合格

 

 

大学3年生の秋、いよいよ選考本番です。

周りは合同企業説明会に参加する段階ですらなかったのですが、

アナウンサーの就活開始は早く、10月上旬から面接本番が始まりました。

 

一番最初に受験したのは、TBSでした。

 

「これだけ対策をばっちり行ったのだから大丈夫!」

僕はこれまでに作ってきた自己PRに根拠のない自信を抱きながら、

赤坂にあるTBS本社に足を運んだのです。

 

意気揚々と面接会場に乗り込むと、1枚の紙を手渡されました。

その紙に書かれてあったのは・・・

 

「30秒間自己紹介をしてください。それと1枚原稿を読んでもらいます」

 

・・・それだけ!?

 

必死になって作った自己PRや、担当してみたい番組を面接官に伝えるつもりだったのに!

ガックリきたものの「面接を突破すれば話せるようになるだろう」と気持ちを落ち着かせました。

 

そして面接本番。

僕は一番遠くのブースに通されました。

 

心臓のバクバクという音が聞こえてきます。

手にじっとり汗をかいているのも感じました。

 

「それでは、自己紹介をお願いします」

と面接官に促され、人生初の面接が始まりました。

 

用意した自己紹介をしゃべろうとするも・・・

緊張で頭が真っ白になり、どうしても思い出せない!

 

大学名と名前を伝えたところで、文字通りフリーズしてしまいました。

フリーズしている最中も面接官は僕の方をじっと見てきます。

 

体中からこみ上げる汗。

何か言おうとしてもどうしても言葉が口から出てこないのです。

 

ようやく絞り出した言葉が、

「僕は大学時代にバスケットボールサークルに入っていました」

その一言。

それだけで30秒の時間切れになってしまったのです。

 

絶対落ちた。

 

僕の頭の中はその言葉でいっぱいになりました。

 

そのあとの原稿読みは心ここにあらずでした。

アナウンサー受験なのに噛みまくり、詰まりまくり。

あっけなく僕の人生初の面接は終わったのです。

 

結果はもちろん不合格。

お祈りメールを人生初めて受け取ってしまいました。

 

苦労して作り上げた自己PRや、担当してみたい番組を考えたのに、

それを話すことなく、僕の1社目の面接は終わってしまったのです。

対策は完全に無駄になってしまいました。

 

面接を受けても受けても届くのはお祈りメールの山

 

 

僕はTBSの受験で完全に懲りました。

 

(一社に最初から時間をかけて対策しても、落ちたら一瞬で無駄になる。それじゃちゃんとした対策はしないでおこう)

 

TBSを受験する前には、志望動機も真剣に考えていました。

 

志望動機を考えるためには、1社1社丁寧に調べる必要があります。

採用ページを見たり、企業のWebサイトを見たり・・・

真面目に調べようとすると、1日かけても終わりません。

 

「時間をかけても志望動機を語る前に面接に落ちたら元も子もない」と思ったのです。

 

次に受験したのは北海道のテレビ局でした。

反省を生かして「次は自己PRや学生時代の経験を話すことに重きを置こう!」と臨んだのですが・・・

 

あろうことか、面接の最初の質問が「志望動機を教えてください」でした。

僕の対策は完全に裏目に出ました。

 

「大学時代に北海道を訪れて、北海道を好きになったからです」

 

(なんじゃそりゃ!?)

 

ツッコミどころ満載の回答をしてしまい、あっけなくその面接も落ちました。

この2回の面接で僕は学びました。

 

1つ1つの企業に対して時間をかけすぎると落ちたら無駄になる。

でも、面接に行ったらどんな質問が飛んでくるか全く読めん。

 

自己PRも志望動機も満遍なく考える必要があり、

それを伝える練習も欠かさず行わなければならない。

 

僕は2回の失敗を経て気付いたのです。

 

それからというもの、リクナビ信者だった僕はリクナビのアドバイスを参考にして、

より一層自己分析や志望動機の作成に力を入れるようになりました。

 

1月に入ると怒涛のES締切ラッシュがやってきます。

僕は1社1社丁寧に自己分析と志望動機を書いてESを書き上げました。

 

1日がESで始まり、ESで終わる。

そんな毎日を繰り返していたのです。

 

「まぁこれだけ対策したのなら、ESは突破できるだろう」

 

と僕は軽く考えていました。

ところが、現実はそんなに甘くありませんでした。

 

渾身の力を込めて書いたESが落ちるわ落ちるわ。

50社ほど出したESが通ったのは12通だけだったのです。

 

さすがにこれは焦りました。

 

(あれだけ時間をかけてESを書いたのに、面接にすら進めないのか!)

 

落ちてしまったESにかけた時間を思い出しては呪いました。

 

とはいえせっかくの面接に進める機会。

今までの成果を十二分に発揮しようと一層対策に力を入れました。

 

そして迎えた本番の面接。

 

これでも喰らえ!とばかりに渾身の自己PR・志望動機を伝えた僕は、

「面接官も絶対納得してくれるはずだ!」

と信じ切っていました。

 

ですが・・・

 

僕の自己PRと志望動機を聞いた面接官は深くうなずくどころか、

冷たくつまらなさげに僕のことを見つめてくるのです。

 

(あれ?思っていたのと全然違うなぁ・・・)

 

違和感を覚えながらも、残りの質問も全てリクナビで得た情報通りに完璧に答えました。

面接官の反応は寂しかったものの、僕の就活史上、最も良い出来の面接だったのです。

 

これなら受かったはず、と僕は面接突破の連絡を心待ちにしていました。

しかし、待てど待てども連絡は来ず。

 

(ああ・・・落ちたんだな・・・)

と半ば悟りながらも、僕は待ち続けました。

そしてようやく届いたメールにはお祈りの文字が。

 

「やっぱりか」と思いながらも、自分なりに本気で臨んだ面接だったので、本当にうちひしがれたのです。

 

このころから僕は、対策をすればするほど自分を見失っていきました。

面接を受けては落ちる、そんな日々を繰り返していました。

 

いつしか落ちることにも慣れてしまいました。

面接に行く前から、

 

(どうせ今回も落ちるだろうな)

 

と思いながら面接会場に足を運ぶのです。

苦痛でしかありませんでした。

 

そして、案の定受け取るお祈りメール。

 

それを見ては、

(僕は社会から必要とされていないんだ・・・)

やり場のない悲しみとむなしさを感じていました。

 

どうせこのまま続けても、ひたすらお祈りメールをもらうだけ。

 

就活を始めたころは、

「よし!アナウンサーになってやる!」

と意気込んでいた僕でしたが、そんなエネルギーはもう湧いてきませんでした。

 

とうとう僕は就活を諦めました。

こうして僕の就活1年目は、1社からも内定を取れないまま幕切れとなったのです。

 

(せっかく京都大学まで進んだのに、どこからも内定を取れないの?)

自分を責める思いだけが頭の中をぐるぐると回っていきます。

就活失敗者という烙印が、自分の背中にはっきり押されたのだと実感しました。

 

そんな僕が、2年目の就職活動で倍率1000倍の外資コンサルに内定するとは、当時は思いもしませんでした。

第3章:就活留年の落ちこぼれが倍率1000倍の外資コンサルに内定!? に続く。

第3章:就活留年の落ちこぼれが倍率1000倍の外資コンサルに内定!?

2018.07.11






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ABOUTこの記事をかいた人

城戸恭平

倍率1000倍超の外資コンサルや人気企業4社に内定した元就活留年生。京都大学教育学部卒。自身の就活が終わった後、後輩たちに就活指導を行い、672人を第一志望に導いた。新卒入社した外資コンサルでは新卒採用担当を経験し、200人以上の学生と会う。現在は関西を中心に就活支援を行っている。バスケットボールと猫が好き。